「神が共にいてくださるのだから」 07.12.23
マタイ1:18〜25
イエス・キリストの誕生によって「インマヌエル(神は我々と
共におられる)が実現した」と聖書は告げます。クリスマスには、
神さまが人として誕生なさいました。人と同じ所に共にいようと
願い、歩み寄ってくださったからです。
インマヌエルの恵みをまず味わったのが、主イエスの父となる
ヨセフと母となるマリアでした。彼らは、天使から自分たちが
神の御子の親となると告げられました。二人にとって、このことは
予想外のことでした。受け入れがたいことでした。
しかし、彼らは、自分の願いや考えを一旦横において、神さまを
優先し、神さまのおっしゃることを受け入れていきました。
神さまのおっしゃることを受け入れ、神の御子の両親となる
ことは、楽しいことばかりではなかったでしょう。神さまを何よりも
優先する生き方は、自分の願いと反することも出てきます。
また、ヨセフとマリアがそうであったように、予想していなかった
重い務めを託されることも出てきます。
しかし、神さまを優先し神さまに従う歩みを踏み出す心と目を
しっかりと向け、神さまに従おうとする時にこそ、共にいてくださる
神さまに気付かされます。そして、そこから本当の自分として
生きることが始まります。
43歳で肺がんで亡くなった原崎百子牧師は、病床で「私が共に
いる」との神さまの言葉に励まされ、インマヌエルの恵みを味わい
ながらすごされました。「私が共にいる。治らなくてもよいではないか。
…私が共にいる。それでよいではないか。ある晩キリストがそう
言ってくださった。」と病床日誌にあります。
しかし、それは、諦めの日々ではありませんでした。子どもたちの
宿題の面倒を見ながら、病床でも出来ることをしていかれました。
インマヌエルゆえに、絶望せずに、諦めずに、与えられた命を、
々と自分らしく生きていかれました。わたしたちは、この恵みを
味わいながら、自分の歩みを進めていくのです。